場活コラム

場活流時事コラム 「小保方さんと理研」

[2014/05/09]

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credit: Pommiebastards

組織活性化のプロフェッショナルである場活師、泉一也が解き明かす『社会問題』。

「 小保方晴子さんと理研で起こっている問題は
場活師としてどのように捉えていますか? 」

私は場活師として、現場を自分の目で見て、体感することを信条としていますが、この問題は社会的に組織の在り方に大きなメッセージを与えていると感じるので、マスコミやWEBなどを通して得られた情報を元に推測をしながら、問題の本質に迫ってみます。

組織活性の視点からいうと、理化学研究所(理研)はかなり活性度の低い組織です。

場活では組織活性を、イキイキ感×一体感×使命感という3つの視点で見ていますが、感覚的には理研は点数で言うと100点満点で5点ぐらいでしょう。

研究論文の調査報告では「小保方晴子ユニットリーダーだけが論文を捏造、改ざんした」と一方的に責任を現場リーダーに押し付けています。

組織の目的に沿って行動したスタッフに全責任を負わすのは『無責任体質』がはびこっている証拠です。

 

私は300社以上の組織活性化に関わってきましたが、現場で起こる問題は、組織風土が生み出しています。なぜなら、たとえ一個人が問題を起こしたとしても組織がその人を採用し、仕事を与え、権限を与え、報告を受け、指示を出しと、意思決定を何度も重ねているからです。

この意思決定は、組織風土と密接に関係しています。

組織風土とは、その組織を構成する人たちの共通した潜在意識です。

潜在意識というのはやっかいで、故意でないために、悪意もないため、問題の根源を「特定の人」にできないのです。

身体でいうと体質にあたります。アレルギー体質、暑さに弱い体質など、問題の原因を特定できないのと同じなのです。『無責任体質』が杜撰な論文を生み、その論文が原因で責任のなすり合いという泥試合を生み出しています。

 

犯人がいないのに犯人探しをすることに意味も価値もありません。いつかは裁判で結論がでるのかもしれませんが、それまでに失われる研究、人材、お金とあまりにも大きいでしょう。

起こってしまったことはもう変えることができません。
であれば、理研の風土とは何かを捉え、問題を生み出した風土にアプローチをすればいいのです。

 

 

まず、理研という組織は、2013年度でいうと予算844億円の90%が税金で運営されています。
この税金が自分たちの研究の成果を左右します。

税金が潤沢にないどころか借金に苦しむ日本の状況、そして、研究は年々高度になり、それに伴って研究費が増える現実。研究の成果を短期間に出さないと研究者としての存在価値を失うという状況。

この厳しい現実の中で、研究費つまり税金を獲得するために、理研は無理してでも力を尽くします。税金は政治・官僚・民間企業が絡む「利権」の温床でもあります。 その世界に首を突っ込まないといけません。

この世界で戦うには、世間も納得するような成果を見せる必要があります。そういう意味では、小保方さんの研究には理研という組織からの大きな期待が寄せられていたに違いありません。

その期待に応えようと、小保方さんは無理して頑張ったという面があるでしょう。短期的成果を出すには効率よく論文を書く。そのために、杜撰な論文作成をしたかもしれません。ですが、たとえ税金に依存する組織ではあっても『無責任体質』になる必要はありません。

 

 

なぜ無責任体質が生まれたのか。

ここからは推測ですが、理研には個人の研究への責任はあったが、組織的には成果への責任が存在しなかったのでしょう。各部署で研究の成果が出なくとも、部署のトップは責任をとらなくてよいと推測できます。

これは日本企業によく見られます。
役員は責任をとらなくてよいという『偉いさん達のなあなあ文化』です。

日本は良い意味でも悪い意味でも封建的な風土が根強くあるので、上の人に対して強く言わない。もし言ったら自分の立場が悪くなっては困るという『保身』も働き、上層部がぬるま湯に浸ります。

武士社会では『諫言(かんげん)』といって、上司に対してももの言わねばならないことは進んで言いいなさい、それが部下の責任だという教えがありました。

ですが、諫言という言葉すら死語の社会では、上層部も現場も皆が無責任になっていくのです。特に、独立行政法人の理研は天下り先となり、天下ってきた経験も実績も人脈もある役員に誰も諫言しにくいのは想像できます。

 

 

では、こういう組織はどのように治療をすればいいのでしょう。

組織活性を、イキイキ感×一体感×使命感で見ているといいましたが理研の人たちからは公的な「使命感」が表情からも言動からもほとんど感じられません。

日本の科学技術の未来を背負っているはずですがそのような責任感と覚悟を感じないのです。
いち研究者としての情熱はひたに感じますが、社会性を帯びた使命感は伝わってこない。

以前、ある独立行政法人の活性化に携わりましたが、そこも似ていました。組織全体から醸し出される使命感が薄い。ほとんどの職員が与えられた仕事をこなしているという感覚。国民の税金を預かり、国民の為に使っているという感覚が伝わってこない。それは、使命感をもった人物を採用せず、ただ「頭がよい」ことが採用の基準となっているからでしょう。これは、理研だけの問題だけではなく、我々の社会に対するメッセージとして捉えてみなければなりません。

 

公的な使命を感じさせる教育も、慣習も、日常生活も薄れている。寺子屋で教えられていた『50にして天命を知る』はずの日本人はすっかり天命を忘れてしまった。天のメッセージを聴くことを。

日本人は『15にして学に志し』そこで止まっているのです。

天はこういっているように思います。頭のよいだけの人たちに、生物の神秘を解き明かし、その技術を授けることはできない。だからこの問題を通して気付けと。

 

現実に戻りましょう。
理研を活性化するには、まずは「使命感」を持った人を上層部に入れ、『責任』の文化を持つように、外部の第三者がウォッチしフィードバック体制をとることです。そして組織全体で、自分たちの社会における存在意義を見つけていく熱い対話の場を作ることです。

場合によっては、税金依存から脱却するために自分たちで稼ぐという選択をさせることも必要かもしれません。優秀な研究者たちを、組織の病で侵し、埋もれさせては社会の大きな損失です。

その損失がどれほど大きなもので、逆に研究者たちを活かせればどれだけ社会が豊かになるか。

その使命とビジョンを持った人材を上層部に入れ、我々場活師のような専門家と共にイキイキ感×一体感×使命感に溢れた組織作りができればと願うばかりです。

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